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旅模様*

旅のあしあと&稽古場日記です   

『WæNDERING』稽古11/12

あいかわらず、高知は暑い!
今日だって、昼間は半袖で過ごせるほどの陽気。
南国土佐。こんなところに育ったら、そりゃあ人格にも影響がある。


今日は本番で使う、「和紙」が稽古場に届きました!


和紙がきました


やっぱり思ったより強く、
質感もすてきで、音もおもしろい。
稽古場ではとりあえず一部に敷いているだけですが、
これが本番で、どんな空間になるか。
たぶん、びっくりするようなことになっているので、
どうぞ、おたのしみに……


そうしてまた、稽古をかさねていく。


もてあそぶ


今日つくったぶんで合計、15分くらいのパフォーマンスになりました。
やはり最初のシーンだけだと、どうしてもミクロなものしか見えない。
今日つくったのでやっと、構成とか、マクロなものの
視点みたいなものが、みえてきたかんじ。
これがこれからどれだけ、ふくらんでいったり
最終的にどういうところまで到達するのか、
具体的な道程ができつつある。


今日のパン


パン


この黒いの、なんと、あずき!
和洋折衷、シブくてうまい


食事


休憩時間中のワンショット。
すきな音楽のはなしで盛り上がったり


なやむ


なんだかみていると、二種類の作り方をしているように思って、
それは、リニア(線形)とノンリニア(非線形)というようなもので、
リニアのところは、文脈、関係性が構成されていて、
絵画でいう「消失点」のようなものというか、「焦点」がわかりやすくあり、
つまり、何をみるべきか、というのが、定まっている。
対してノンリニアのところは、価値体系のようなものがなく、
舞台上のどこでも見ていいし、何かを読み取ろうとおもっても
その前後関係に明確な関連は、なかったりして、
ただ、なにかの「環境」のようなものが
そこに展開されている。

もちろんこれはぼく個人の勝手な見方で、
そういうふうな捉え方をしなくったっていいし、
これから作っていくうえで、そのあり方は変わってくるかもしれません。
でも、もちろん、リニアなつくりというのは、わかりやすいし、
それがないととっちらかってしまう、とくに
今回コンセプトとしては明確な言葉が作られていくし、
演出家が完全に主権を握るのではない、共同制作においては
ある「焦点」「文脈」がなくてはならない。
正直にいって、いまのところ
そういうシーンのほうが面白く見てしまっている。
けど、この作品において、いちばん重要な部分は
やはりノンリニアのところにあるのかもしれない、とも思います。
作品全体でみたら、それはノンリニアなものになっていくんだろうと

それはなんでかというと、
この作品が人間よりも大きなものを目指しているからで、
やっぱりしっかりした文脈のある構成というのは、
ある人間の、たとえばひとつの「人生」を追うような、
感情のあるひとつの「主体」を浮かび上がらせるためには
有効だったりするのですが、
今回はそれらを超えて、生命の営みのようなもの、
そこでは、どんな生命体かというようなことは
捨象されて、「生命」という抽象存在になっている、
そんなもののありかたを表現しようとしているので、
そこではノンリニアなもののほうが親和性はある、と思います。

もちろん、演劇においては、時間軸は基本的にひとつで流れているし、
そこを観客も、俳優も、演出家もスタッフも、共有しなくてはならないし、
とくに先述のとおり、演出家が絶対的な創作の先導者ではないから、
よけいその共有の作業は重要になってくるとは思うのですが、
最終的にその、リニアとノンリニアのありかたが
びっしりと決まったら、すごく面白くなるかもしれないなと、
ただの助手という立場ですがえらそうに思っています。

でも、稽古が進んでいくにつれ、
あ、やっぱ違う、こないだ言ったことはなし、
なんてそんなことになる可能性もある。
今日のところの雑感です。



★みょうじん語録


「水面から魚がはねるきらめきのように、
関係性というものがお客さんに伝わるといい」

以前の、「何をやっても物語が生まれてしまう」というのに
通ずることばだと思いますが、
排除しようと思っても、何らかの関係性というのは生まれてしまう、
そこを、お客さんが、水面の魚のきらめきのように見出す、
というのは、たしかにひとつのよろこびかもしれません。
でも、そこをたとえば、
ある消費される物語として「利用」してしまうのか、
(その場合、想定される物語は共通のものでなくてはならないし、
だからお客さんが文脈を共有している必要がある)
それともある種類の女の子が特定のシチュエーションに
いつまでも妄想のなかで物語を広げていってしまうみたいに
お客さんの中で育てていくようなものにするのか、
(この場合はその具体的な「物語」はそれぞれ違っている)
っていうようなところで、いくつかの態度というか、
同じ「物語」という言葉でもニュアンスの違いは、あると思う。
(たとえが悪い気もするけど)
たぶん今回は、どちらに限定することなく、
両方、いろんな形で、使われることになると思います。



「横になるとみたことのある、おじさんにみえる」

これは点の打ちかたに悩んだ。
その「おじさん」はある特定のおじさんで、
明神さんが過去にみた具体的な誰か、
たとえば子供のころ隣に住んでいた武田さんのことなのか、
それとも誰かとは限定しないが、
なんだか既視感のある、おじさんめいた存在のことなのか、
そのどちらかは、はっきりしないが、
「みたことのあるおじさん」と言われて
あんまりいい気持ちはしないものだから、
横になるのはやめたほうがいいのであった



今日の反省:
今日にかぎらずだけど、
セーターとかまじいらない。
コートとかなおさら


演出助手・カゲヤマ気象台


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  1. 2011/11/12(土) 20:14:53|
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